龍宮神社に行ってみた

龍宮神社(りゅうぐうじんじゃ)は北海道小樽市稲穂町に鎮座する神社です。
こちらがパワースポットと言われるのは鎮座地がアイヌの祭場としていた所であると伝えられているためです。当時アイヌ民族が海に出漁し山野で熊を狩る生活を営んでおり、海路安泰と海幸祈願、熊祭のため、この祭場に 「イナホ」を立て酒饌を供し祭事を行っていました。「イナホ」とは木片を削り祭具として用いたものです。アイヌ語で神を意味し神社を指します。現在御鎮座 地周辺を稲穂町(いなほちょう)と呼ぶのはここからきているようです。早速、パワーを頂きに行ってみました!

龍宮神社の歴史

銅像

神社は明治9年国有地払い下げの折、『榎本武揚公』がこのアイヌ民族の祭場に遠祖桓武天皇を合祀し移民の安意を図る為に「北海鎮護」と献額し社を建立しまた。社名の由来は当時江差町に龍宮教会という海の神として信仰の厚い社があり、明治天皇北海道ご巡幸の際、随行された有栖川宮熾仁親王 より「龍宮殿」と直筆の揮毫を頂き明治15年に龍宮殿と称しました。明治30年無格社に列格。その後、公爵一条実孝公より直筆にて「龍宮神社」「敬神」の揮毫を頂き大正5年龍宮神社と改称、村社に列格。大正7年村 社小樽伏見神社を境内に移植。昭和3年郷社に列格。昭和16年社殿を改築し現在に至ります。

隕石で作られた「流星刀」

流星刀

流星刀とは、榎本武揚が隕石を材料にして作った日本刀です。
武揚はオランダ留学を通じて専門の蒸気機関学や船舶運用術とともに広範な科学技術の習得に努めていました。、中でも鉱物学と製鉄技術には強い関心を持っていました。ロシア全権公使としてロシア訪問時にアレキサンダーⅠ世所蔵の星鉄刀をツアルスコエ・セロー離宮で初めて見た際にいつか自分も作ってみたいとの強い思いを抱きました。明治28年に富山県白萩村で隕石が発見されたのを知りそれを購入。それ以来この隕石を材料にして刀剣を作る研究に取り組みました。この刀の制作には困難を極めましたが刀工岡吉國宗が神社に祈誓し三週間精進潔斎して鍛錬の方法を生み出し完成させました。
この流星刀の一振りは、星鐡を24回(通常15回程度)折り返し鍛錬したものを用いて作られ、刀身の表面には如輪木理(木の年輪)に似た斑紋が浮かび出ています。
神社に奉納された流星刀は、榎本家に代々大切に伝わっていた一振りで、作られた流星刀の中でも「最も刃紋の美しい刀」と伝えられています。流星刀は大小4振り製作されました。その内、長刀の1振りは当時の皇太子に献上されました。残り3振りは榎本の子孫へ伝えられたが、短刀1振りは戦時中に紛失、長刀1振りは榎本が設立に関わった東京農業大学に、短刀1振りは隕石飛来の地である富山市天文台に寄贈、後に富山市科学博物館に収蔵となりました。後に作られた短刀1振りは2017年に榎本のひ孫である榎本隆充によって榎本にゆかりのあるこちらの龍宮神社に奉納されました。観覧は特別な日にしか出来ませんのでご了承ください。
とても美しくていつまでも眺めていたい刀です。

100年目の仲直り

オンコの木

なにげに植えてある木ですが良く見ると元総理大臣の浅生太郎氏の名前が書かれています。
自民党幹事長から、あっと言う間に、自民党新総裁に登りつめたので関係者の方々からは小樽の龍宮神社の「ご利益」があったとの声が上がっています。麻生太郎氏は、戊辰戦争時代の明治政府軍中心的人物である大久保利通の子孫です。龍宮神社は旧幕府軍の総大将榎本武揚が建立された神社です。
何のご縁がわかりませんが榎本武揚没後100年記念祭の時に自民党幹事長であった麻生太郎氏が「100年目の仲直り」と言って直々に参拝に訪れて「オンコの木」を植樹しました。歴史を紐解くと面白いですね

迫力ある御朱印

御朱印

北海道でも人気のある御朱印です。龍の書が迫力あります。今回は宮司さんがオリンピックで頑張っている方々を見て何か出来ないかと言うことで限定御朱印が出来ました。(授与期間は終了しております。)

綺麗な眺め

景観

境内から見れる景色も天気の好い日でしたらさらに格別です。
パワーを頂きにぜひ行ってみませんか?

所在地
〒047-0032 北海道小樽市稲穂3丁目22−11
連絡先
0134-22-4268