「JR北海道の路線存続問題」について考えてみたPart.2~日高本線完乗の旅~

2017年4月14日 11:27 2,698 Views
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サラリーマン・レーサー

「JR北海道の路線存続問題」について常日頃から考えている、ライターのマスオ。です。
3月某日、高波や台風といった自然災害により線路が寸断されている「日高本線」(苫小牧~様似)の現状を知るため、全線を乗り通す鉄道一人旅を決行した。 【日高本線の現況】 「日高本線」は苫小牧~様似を結ぶ全長146.5kmの路線である。 元々は苫小牧にある製紙工場にパルプ原料の木材を運ぶことを目的に敷設されたが、時代の変化により現在では本来の目的を失ってしまい、赤字ローカル線となってしまっている。 さらに、2015年1月には高波により厚賀~大狩部間の護岸を流出、2016年8月には台風被害で複数の橋梁を流出するなど大きな被害を受け、鵡川~様似間は約2年経った今でも運休が続いている。 現在の運行体系は、本来の約5分の1の距離となる苫小牧~鵡川間(30.5km)を列車での折り返し運転、鵡川~静内~様似間を列車代行バスで運行する措置が取られている。 それだけではない。 JR北海道は復旧作業には約86億円もの費用がかかるという試算を発表した。さらに、復旧したとしても年間16.4億円もの維持費がかかるとして、復旧費・維持費の負担を沿線自治体に求めているが、各自治体はこれを拒否している。JR北海道は、「当社単独では維持することが困難な線区」「持続可能な交通体系のあり方」として鉄道路線の見直しについても公表していることから、JR北海道の島田修社長は、2016年12月21日に沿線8町の町長らに対し、廃止の意向を正式に伝えている。 今後については、JRと沿線自治体とが協議を行い最終的な結論を出すこととなっている。 【旅の計画】 「日高本線が無くなってしまうかもしれない」 そう思うと、居ても立っても居られなくなり時刻表を広げてみた。 札幌市内から様似まで日帰り計画を立ててみると、朝の6時半頃に出発しても帰り着くのは夜10時近くなるという、とてもハードなスケジュールとなってしまう。 しかし、日高本線がどういう状態なのか、これからも鉄道が必要なのか?バスが適しているのか?自分の目で見て、肌で感じることで何か分かることがあるような気がする。とにかく、行ってみなければ何も始まらない。 思い立ったが吉日、眠い目をこすりながら日高本線完乗の旅に出た。 【苫小牧7:58→鵡川8:27 キハ40系 2両編成】 札幌からの普通列車に揺られ苫小牧に到着すると、1番ホームに日高本線の列車が停車していた。 駅の行先案内が「Samani(様似)」となっていることから、不通区間があるとはいえ「日高本線は様似まで営業しています!」という思いが伝わってくる。 専用塗装のキハ40系。鮮やかなブルーの車体からは、昭和56年製(38歳!)とは思えない爽やかな印象を受ける。車体には「優駿浪漫」のロゴがあるが、どういう意味なのか分からなかったため調べてみた。
国道235・236号の愛称が『優駿浪漫街道』というらしく、同じ場所を通っている日高本線も同様のネーミングになったものと思われる。 詳細は北海道日高振興局HPをご覧になってみてください。 http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/aisho-decision.htm
日高路の風光明媚な印象を表していることを思うと、これからの旅も期待が膨らむ。 2両編成の列車は私を含めてたった3人の乗客を乗せ、定刻に苫小牧駅を発車した。 苫小牧駅からは王子製紙 苫小牧工場の巨大な煙突が見える。 日高本線が生まれた理由は何だったか?パルプの原料を製紙工場に運ぶためではなかったのか?原料の調達方法や輸送方法が変わってしまっては、工場があっても鉄道路線の意味はない。 ガランとした車内。「タタン、タタン」と、レールの継ぎ目を通る音が車内に響き渡る。 北海道新幹線開業1周年を祝うポスターが掲げられているが、それを見る人は誰もいない。「JNR」と書かれた国鉄時代の扇風機と最新新幹線の組み合わせが余計に哀愁を誘う。 勇払駅近くには「日本製紙北海道工場」があり、巨大な煙突からはもくもくと煙(水蒸気?)が出ていた。駅に近い立地ではあるが、工場敷地には広大な駐車場が広がり多数の車が止まっていた。列車通勤はどれほど需要があるのだろうか。 真っ直ぐ伸びる線路がいかにも北海道らしい。 終点の鵡川に到着。折り返しの苫小牧行きにはそれなりの人が乗車していた。 この様子だけ見ると、まだまだ大丈夫!と思ってしまうが、日高本線の全長約150㎞の5分の1程度しか移動していない。 様似方を臨む。ここから先、線路は続いているが列車は走っていない。 表記の通り、「列車代行バス」に乗り換える必要がある。鵡川から先も列車に揺られ「優駿浪漫」を体感してみたいところではあるが、それも今は叶わぬ夢。現実を見て、駅前の代行バス乗り場へと歩を進めた。 【鵡川8:35→静内10:23 列車代行バス】 鵡川駅前には既に列車代行バスが停車していた。 地元の観光バス会社がJRから委託されているのだろうか? 「JR列車代行」の文字が、このバスは列車と同じ扱いであることを示している。 列車から乗り継いだ人だけでなく、鵡川から乗車した人もいるわけだが、それでも車内の人はまばら。 この人数だと、鉄道の利点である「大量・高速輸送」が生きない・・・。 そんな不安感を覚えながら、列車代行バスは定刻に鵡川駅前を発車した。 列車代行バスは国道235号をひた走る。 思っていた以上に快適なバス移動であるが、途中で右折し国道から離れていく。 どこに行くのだ?と思いきや、汐見駅に停車。 列車代行なので、原則的には各駅に立ち寄るルートとなっているのだ。 駅に近づくと国道から逸れ、住宅地の中や何もない田舎道を通り、駅前に停車。発車し国道に戻る。という流れを繰り返しながら、中継地点でもある静内を目指す。 沙流川にかかる鉄橋を見る。 澄み切った青空の下、この長い鉄橋を列車が渡っていると素敵な画になることは間違いない。 国道を走る列車代行バスの車窓からは太平洋を臨むことができる。 穏やかな日差しで海も青い。風光明媚とはまさにこのことだ。 景色に感動していたわけだが、海が近づくにつれ少しずつ異変が出てきた。 道路沿いに積み上げられた土嚢。しかも、よく見るサイズとは比べ物にならないほど大きなものだ。 グニャグニャに曲がったフェンスや大量のゴミが散らばっている。 鉄橋と思われる物体が一箇所にまとめて置いてある。 嫌な予感がした。 橋台を残して鉄橋が無くなっている日高本線。 写真や映像では見ていたが、実際に自分の目で見るとその衝撃は大きかった。 無くなるなんて想像もしていないものが、現実に無くなっているのだから。 この感覚は、現地で見た人にしか分からないだろう。 路盤が流出し線路がずり落ちているような場所も見受けられる。 空は青く海は穏やかな景色からは、本当に自然災害があったのか?と疑問に思ってしまうほどだ。 途中の踏切にはカバーがかけられていた。 踏切にカバーがかけられるというのは、「ここには列車は通りません」という意味を表している。廃線直後の路線や休止路線によくみられる光景だ。 日高本線もその一部という扱いということになる。 被害の大きかった大狩部付近では、線路が完全に宙づりになっていた。 パッと見では何の問題もなさそうなのだが、冷静に考えてもらいたい。 本来はテトラポッドが見えてはいけないのだ。 大狩部駅前にはバスが入れないため、駅近くの空き地で乗降を行う。 その空き地には「子供達へのおくりもの・・・日高自動車道」の看板が。 道路が整備されるのは良いことである。 しかし、日高本線沿線自治体からは 「鉄路を残せ!」 「交通弱者には鉄道が必要だ!」 「JRの説明は机上の空論だ!」 といった意見を、メディアを通じて多く耳にする。 この看板は自治体が設置したものではないとしても、客観的に見ると「結局は鉄道より道路なのだね」と受け取ってしまうのは私だけだろうか。と考えているうちに、誰も乗降しないバスはゆっくりと出発した。 海風にさらされ錆びついた線路。 列車から見える車窓はさぞ美しかったであろう。 現実を目の当たりにして様々な思いが交錯する中、バスは定刻に静内駅に到着した。 【静内駅】 日高本線の中でも数少ない駅員が配置されている駅で、観光情報センター・売店・駅そば店を有している。新ひだか町を代表する駅でもある。 駅舎内の売店は、観光案内コーナーやお土産品も取り揃えてある複合型。 最近はコンビニなどの台頭により駅売店も減少傾向にあるが、駅に売店があるだけでどことなく安心感がありワクワクする。 さらに、 立ち食いそば店まで入っている! 立ち食いそば好きとしては、食べないという選択肢はない。 駅中に広がるおだしの良い香りに誘われ暖簾をくぐり、かけそば一杯。 お店のおばちゃんと何となく会話をしながらいただく一杯。 温かいおだしが体に染み渡る。 天かすとねぎはセルフで投入。 手作りのおにぎりやおいなりさんもあるため、小腹を満たすにもちょうどよい。 目の前の皿に並ぶかき揚げやえび天も気になるが、予算管理も大切であるためここはかけそばで我慢。お財布に余裕のある時は思いっきりトッピングしてみたいものだ。 そばをおいしくいただき、ぐるっと駅舎内を見渡してみる。 新ひだか町にある桜の名所「二十間道路桜並木」 http://shinhidaka.hokkai.jp/kankoukyoukai/nizyukken/douro.html をイメージしてか、桜の飾りで彩られていて春も近いことを実感。 駅改札口方を見ると、営業中のみどりの窓口がある。 この様子だけを見ていると、通常通り列車が運行されているようにも見えてしまう。 「1番のりば 様似方面」「2番のりば 苫小牧方面」 今後、この電光掲示板が点灯する日が来るのだろうか。いや、来ることを願いたい。 【静内12:00→様似13:52 列車代行バス】 静内発様似行きの列車代行バスはジェイ・アール北海道バスの運行である。 青白の車体につばめマークは旧国鉄バスを彷彿させるデザインである。 静内駅にはそれなりの人がいたため、様似方面へ行かれる方かと思っていたが、どうやら札幌行きのバスを待っていたようだ。 結局、様似方面へのバスには私を含め4人が乗車し定刻に発車した。 静内駅を出たバスは日高本線に沿って走る。 撮影スポットとして取り上げられている鉄橋の横を走ったり 青々と光り輝く太平洋を臨んだりと、「優駿浪漫」の表現が納得できる。 ただし、現在運行されている列車代行バスにおいて、静内~様似間に関しては駅前に停車することが難しい場所もあるため、駅から離れた場所に停車する箇所もあるため利用の際には注意が必要である。 一人、また一人と途中で下車していき そして、だれもいなくなった。 一部区間では私一人だけがバスに揺られていた。 これが、鉄道による運行だったら利用者はいるのだろうか?切実な問題である。 浦河駅。営業日時は限定されるが、駅みどりの窓口が設置されている。 駅構内には草が生い茂り、さながら廃線といった雰囲気である。 浦河の前後で3人の人が乗車してきた。 浦河を過ぎると、終着の様似はもうすぐである。 日高本線は内陸部と海岸線を右往左往しながら進むのだが、列車代行バスは国道を走るため基本的には海沿いである。 様似の市街地に入る直前、親子岩が見えてくる。 この景色を見られるのも列車代行バスならではなのだが、喜ぶべきか悲しむべきかは極めて微妙な所である。 親子岩から10分もかからず、終着の様似駅に到着。 4人の乗客を降ろしたバスは回送となり駅を離れていった。 アポイ岳に抱かれた町、様似町。 北海道の地名は独特な呼び名が多いが、山や川の名称もまた同様である。 アポイ岳の由来はアイヌ語の「アペ・オ・イ」(火のあるところ)よりきているとのこと。 【様似駅とその周辺】 様似駅舎。簡易委託駅で、ジェイ・アール北海道バスに委託している。 駅に観光案内所が併設してあるが、冬期間は営業休止のようだった。 駅構内は、今にも列車が来そうな雰囲気ではあるが、現実にはやってこない。 信号機が点灯していないことがそれを裏付けている。 駅の柱をよく見ると、古レールが使われているようで、1910と書かれている。 様似駅の開業は1937年(昭和12年)であるため、日高本線以外で使用されていたものであることは間違いない。 今年が2017年であるため、107年前のレールがこうして現役であることがなにより驚きである。 日高本線の末端部。再び列車が来る日を待っているかのように鎮座している。 駅から10分~15分ほど歩くと海岸にたどり着き、砂浜に出ると海越しにアポイ岳を臨むことができる。海風は冷たいが、美しい景色は写真の撮りがいがある。 【様似→札幌 復路】 15:50発の静内行 列車代行バスに乗車。 様似から静内まで、途中乗車も含め3人のみの利用であった。 美しい海岸沿い。何度も思うが、この景色だけを見ていると日高本線が自然災害に見舞われたことが嘘のようだ。 美しいのは海だけではない。 反対側の車窓には美しい山々の姿も。バスの窓が写真のフレームのように見えた。 徐々に陽が傾く中、日高本線の各駅に寄りながらバスは進む。 この駅にもしばらく列車は入ってきていない。時の流れが止まった駅は、忘れ去られたかのような空間だ。 日高本線沿線は競走馬の産地として名高い地域である。 途中で見かけたモニュメントは、競走馬が太陽に向け跳んでいるようだ。 いよいよ陽が沈む。太平洋に臨む夕陽は言葉では言い表せないほど美しい。 夕陽と日高本線、この組み合わせで写真が撮ってみたい。 その日が再び来ることを願わずにはいられない。 静内で鵡川行きの列車代行バスに乗り継ぐ。 その頃には辺りは真っ暗で車窓を楽しむことも難しい。 ただただ時間が過ぎるのを待つばかり。 鵡川から苫小牧までは列車での運行。 朝に乗ったキハ40系「優駿浪漫」がアイドル音を響かせながらホームに佇んでいた。 【おわりに・・・独り言】 今回の旅は3月下旬の土曜日だったこともあり、通勤・通学で日高本線を利用されている方々の様子を見ることはできなかった。 しかし、路線維持・存続を考えると平日も休日も関係はないと思う。 どのような時でも、鉄路は地域の足・観光の軸として活躍していなければならない。 日高本線全線を乗り通して感じたことは、自治体・鉄道・車・各サービス業etc…全てがバラバラで一体感がなく、協調性が感じられなかった。 欧州の鉄道事情から見てみると、パークアンドライドや鉄道利用者への手厚い優待、市街地への自動車乗り入れ規制、物流の鉄道輸送、駅の活用(地域の交流拠点)といった様々な活動が見られる。 自治体が「鉄道を残せ!」と言うのであれば、公共事業として駅周辺に駐車場をつくるということや、駅を町の一つの拠点として活用するという考えも必要なのかもしれない。 また、事業者であるJR側も「できれば残したい」と言うのであれば、自治体と共に真剣にできることを考え、パークアンドライドを利用している人に対してお得を感じるサービスを提供したり、どうせ利用者も少なく赤字であれば利益度外視で思い切った商品を発売してまずは人の意識を向けたりと、生半可ではない本気の行動が必要だと感じた。 最近では「DMVを導入し鉄路を残し、観光資源としても活かしたい!」と自治体が発表したが、導入には多くの課題・問題があることを認識しなければならない。 2014年にJR北海道はDMVの開発を中止したが、技術的観点では車両においてはほぼ完成形と言ってよい状態と言う。ということは、営業運転に投入しようと思えば、車両自体は可能なのである。しかし、それができない・していないということには必ず理由があるわけで、それがJR北海道の体質・体制だけに限らないものということをしっかりと理解しておきたい。 JR北海道にも、せっかく開発した全世界で唯一のDMVというものを活かす道を模索していただきたい。キハ285系と同じ道を歩むことだけは避けてもらいたい。 路線廃止に向けた協議が進む日高本線であるが、北海道の活性化を望む北海道民として、一鉄道ファンとして「廃止」という最悪の事態にならないことを願うばかりである。 「JR北海道の路線存続問題」について考えてみたPart.2~日高本線完乗の旅~ 完
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サラリーマン・レーサー

2015年10月に福岡から移住してきたサラリーマン・レーサー。 2015年北海道クラブマンカップ ザウルスJr.クラス シリーズチャンピオン獲得。 モータースポーツ、鉄道、産業遺産、写真、グルメ、筋トレ・・・様々な視点から情報を発信します!

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