シリーズ「夕張のいま」vol.1 ~三菱大夕張鉄道の保存車両~
2017年4月30日 20:37
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北海道、夕張。
かつて炭鉱都市として発展した町は、主要産業を失った上に「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズのもと展開してきた政策が失敗し、全国で唯一の財政再建団体となり衰退の一途をたどっている。
そんな夕張の「いま」を知るため、私は定期的に夕張に足を運んでいる。
そして、多くの人に夕張とはどのようなところかを知っていただくため、また、訪れていただきたいという思いから、夕張をテーマにシリーズとしてご紹介させていただきたい。
今回は、かつて夕張を走っていた私鉄の一つ「三菱鉱業大夕張鉄道線」(以下、三菱大夕張鉄道)について取り上げたい。
三菱大夕張鉄道は、清水沢から南大夕張を経由して大夕張炭山を結んでいた全長17.2kmの路線であった。 大夕張炭鉱や南大夕張炭鉱で産出された石炭を輸送することが主な目的であり、同時に旅客輸送も行われていた。 1911年(明治41年)に開業し、運行会社の変更や路線の部分廃止等を経験しながら、1987年(昭和62年)南大夕張炭鉱の合理化に伴い廃止となった。 廃止から30年経過した2017年、三菱大夕張鉄道の痕跡は確実に姿を消しつつある。 特に、2014年に試験湛水を開始し、現在では現役稼働中の「夕張シューパロダム」完成により、線路跡はほとんどが水没してしまっている。 また、上記ダム建設や国道の整備により関連施設も撤去・消滅しており、痕跡をたどるには事前に詳細な資料を準備しなければ難しいのが現状である。 そんな中で、間違いなくそこに鉄道があったことを認識できるものがある。 南大夕張駅跡に保存してある車両たちだ。 南大夕張駅跡は廃止後も長らく放置状態にあり、車両はボロボロの状態で気が付けば転覆していたという。 そのような状況を見た有志の方々が、1999年(平成11年)に「三菱大夕張鉄道保存会」を立ち上げ、車両とその関連物の保存活動に取り組まれている。 ------------------------------------ 三菱大夕張鉄道保存会 とは http://www.ooyubari-rps.net/about_rps ------------------------------------ 保存会の方々のおかげで、私は目の前の車両を見ることができている。 保存されている車両たちは歴史あるものばかりで、ラッセル車や客車、石炭貨車など明治~昭和初期に製造されている。 これらの車両は、2001年に「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として北海道遺産に指定され、2007年には経済産業省より「近代化産業遺産」として認定されている。 それだけ歴史的価値のあるものだということになる。 ■ラッセル車:キ1 1940年(昭和15年)苗穂工場製造 ■客車:オハ1 1906年(明治39年)新橋工場製造 ■客車:ナハフ1 1937年(昭和12年)日本車輌製造製 ■石炭貨車:セキ1(1911年(明治44年)年汽車製造合資会社製造)、セキ2(1934年(昭和9年)製造) 敷地には列車だけでなく、昭和感溢れるバスも保存してある。 蕗の薹が顔を出し、ぐんぐん成長している。夕張にも春が訪れている。 こちらのバスは三 菱鉱業(美鉄)バスNO.59 と言われているようで、詳細情報は「三菱鉱業バス保存会」さんのHPを参照。 http://motor.geocities.jp/mitukoubus/index1.html 三菱大夕張鉄道保存会さんの活動として、オハ1客車の中に入ることができ、その中で保存会の活動や三菱大夕張鉄道の歴史パネル、訪れた人が自由に記帳できるノートなどが設置してあり、旅の記念にも良いスポットとなっている。
夕張と聞くと、炭鉱の事故・閉山、財政破綻、人口減少、鉄道廃止・・・ 暗い印象をお持ちの方が多いのかもしれない。 実際に訪れて感じることは、その印象は決して間違いではないということ。 人も少なく、活気がなく、どことなくどんよりしている。 しかし、その夕張をどうにかして盛り上げよう、自分たちにできることは何だろうかと必死に考え行動されている方々が多数いらっしゃることもまた事実である。 町の雰囲気は暗く感じてしまうかもしれないが、この三菱大夕張鉄道の保存車両のように、人の想いを感じることができる場所が夕張にはいくつもある。 今後、私の独断と偏見になってしまうが、夕張の気になるスポットを紹介させていただきたいと思っている次第である。 【三菱大夕張鉄道保存会】 HP:http://www.ooyubari-rps.net/ Facebook:https://www.facebook.com/三菱大夕張鉄道保存会-346290188775856/
三菱大夕張鉄道は、清水沢から南大夕張を経由して大夕張炭山を結んでいた全長17.2kmの路線であった。 大夕張炭鉱や南大夕張炭鉱で産出された石炭を輸送することが主な目的であり、同時に旅客輸送も行われていた。 1911年(明治41年)に開業し、運行会社の変更や路線の部分廃止等を経験しながら、1987年(昭和62年)南大夕張炭鉱の合理化に伴い廃止となった。 廃止から30年経過した2017年、三菱大夕張鉄道の痕跡は確実に姿を消しつつある。 特に、2014年に試験湛水を開始し、現在では現役稼働中の「夕張シューパロダム」完成により、線路跡はほとんどが水没してしまっている。 また、上記ダム建設や国道の整備により関連施設も撤去・消滅しており、痕跡をたどるには事前に詳細な資料を準備しなければ難しいのが現状である。 そんな中で、間違いなくそこに鉄道があったことを認識できるものがある。 南大夕張駅跡に保存してある車両たちだ。 南大夕張駅跡は廃止後も長らく放置状態にあり、車両はボロボロの状態で気が付けば転覆していたという。 そのような状況を見た有志の方々が、1999年(平成11年)に「三菱大夕張鉄道保存会」を立ち上げ、車両とその関連物の保存活動に取り組まれている。 ------------------------------------ 三菱大夕張鉄道保存会 とは http://www.ooyubari-rps.net/about_rps ------------------------------------ 保存会の方々のおかげで、私は目の前の車両を見ることができている。 保存されている車両たちは歴史あるものばかりで、ラッセル車や客車、石炭貨車など明治~昭和初期に製造されている。 これらの車両は、2001年に「空知の炭鉱関連施設と生活文化」として北海道遺産に指定され、2007年には経済産業省より「近代化産業遺産」として認定されている。 それだけ歴史的価値のあるものだということになる。 ■ラッセル車:キ1 1940年(昭和15年)苗穂工場製造 ■客車:オハ1 1906年(明治39年)新橋工場製造 ■客車:ナハフ1 1937年(昭和12年)日本車輌製造製 ■石炭貨車:セキ1(1911年(明治44年)年汽車製造合資会社製造)、セキ2(1934年(昭和9年)製造) 敷地には列車だけでなく、昭和感溢れるバスも保存してある。 蕗の薹が顔を出し、ぐんぐん成長している。夕張にも春が訪れている。 こちらのバスは三 菱鉱業(美鉄)バスNO.59 と言われているようで、詳細情報は「三菱鉱業バス保存会」さんのHPを参照。 http://motor.geocities.jp/mitukoubus/index1.html 三菱大夕張鉄道保存会さんの活動として、オハ1客車の中に入ることができ、その中で保存会の活動や三菱大夕張鉄道の歴史パネル、訪れた人が自由に記帳できるノートなどが設置してあり、旅の記念にも良いスポットとなっている。
夕張と聞くと、炭鉱の事故・閉山、財政破綻、人口減少、鉄道廃止・・・ 暗い印象をお持ちの方が多いのかもしれない。 実際に訪れて感じることは、その印象は決して間違いではないということ。 人も少なく、活気がなく、どことなくどんよりしている。 しかし、その夕張をどうにかして盛り上げよう、自分たちにできることは何だろうかと必死に考え行動されている方々が多数いらっしゃることもまた事実である。 町の雰囲気は暗く感じてしまうかもしれないが、この三菱大夕張鉄道の保存車両のように、人の想いを感じることができる場所が夕張にはいくつもある。 今後、私の独断と偏見になってしまうが、夕張の気になるスポットを紹介させていただきたいと思っている次第である。 【三菱大夕張鉄道保存会】 HP:http://www.ooyubari-rps.net/ Facebook:https://www.facebook.com/三菱大夕張鉄道保存会-346290188775856/