「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」へ行ってみた
2017年2月1日 19:21
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岩見沢駅前にある「そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター」。
「炭鉱の記憶推進事業団」というNPO法人が運営されているセンターで、炭鉱を中心とした近代化産業遺産に関する資料などを自由に見ることができます。
「炭鉱の記憶推進事業団」さんや「そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター」の活動目的や内容は、私が説明するより下記URLからご覧いただければと思います。
「炭鉱の記憶推進事業団」 http://www.soratan.com/
「そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター」 http://mc.soratan.com/
「そらち ヤマの記憶だより(スタッフブログ)」 http://yamasoratan.blog62.fc2.com/
今回ご紹介させていただきたいのは、センターを訪れた際に見つけたある「部品」についてです。
「幾春別川橋梁」(プラットトラス) ・リベット、アイバー、ピンにより組み立て ・錬鉄(炭素量が少なく鉄の純度が高い、錆に強い 赤錆→黒錆→光沢) ・コフロード&セーラー社(鉄鋼メーカー→鉄橋を主に製作) 米国で多くの鉄橋を製作 ・設立1877(明治10年)1893年(明治26年)2月 倒産 ・アメリカでも1つか2つしか現存していない(岩見沢のものとは構造違う) ・1916年(大正5年)栃木県へ移設(大谷川鉄橋)広井勇さんが関係していた? ・下野電気鉄道(鬼怒川方面でのダム・発電所建設のための路線) ・1918年(大正8年 10月)大谷向~新今市間 開業(鉄橋完成)10連中2連(8連は九州から)昭和40年代に九州から来た8連は老朽化により撤去 ・1996年(平成8年)現役引退(完成から110年余、栃木で76年余) ・1994年土木学会誌の表紙を飾る ・1つは三島(JR東海研修センターに組み立てた状態で保存)、1つは北海道へ ・技術的な価値(我が国で最古の米国製鉄道橋、我が国に現存する鉄道橋で3番目の古さ、改修が少なく原形を保っている) ・産業的な価値(北海道開拓におけるアメリカ技術の導入遺産、北海道近代化のための炭鉱開発 幌内鉄道) ・岩見沢の価値(地域の宝、街の成り立ちの礎、岩見沢にあることに意味がある) ・屋外で野ざらしで保管されている(錬鉄なので磨けば使える) ・材料はすべて残っている
私なりに調べて、重要だと思った部分を抜粋した内容です。 ※ 私は専門家ではありませんので、情報に誤りがある可能性があります 一言で申しますと「とても貴重な鉄橋」だということです。 JR東海さんの研修センターに同型の橋が保存されていることを考えると、JRお墨付きの貴重な産業遺産と捉えることができます。 しかし、岩見沢にゆかりのある鉄橋にも関わらず、お金や場所、技術等の問題からきちんと保存することができず、部品がバラバラの状態で野ざらしになっているそうです。 北海道開拓の歴史の証人として、とても重要な物ではないでしょうか。
音楽リサイタルも開催される石蔵造りのセンター
炭鉱の記憶マネジメントセンターは、昭和2年に建てられた石造りの建物と、明治42年に造られた石蔵が合わせられた構造となっており、とても味のある雰囲気を醸し出しています。 センターの方に案内していただき建物奥の石蔵に入れていただくと、外界とは違うひんやりとした澄んだ空気に包まれているように感じました。 お話によると、現在は石蔵の空間を利用した音楽リサイタルなどを開催することもあるとのこと。なんでも、石蔵造りが音響にとても良いのだとか。 一度は聞いてみたいものですね♪ 安全旗(緑十字)が掲げられているところは、炭鉱に関するセンターならでは。 壁には明治時代に造られた時のノミの跡が。 当時の人々の技術にうなずいていると、足元に何か転がっていました。 3メートルほどはあったでしょうか。巨大な何かの部品であることはすぐにわかりました。そして、色からして錆止めを施してあることもわかります。ということは、これは金属部品であるということも明確です。 では一体、この部品は何なのか? その答えは、センターの中にありました。 橋の模型です。先ほどの部品は、この鉄橋の部品だったのです。 お分かりいただけますでしょうか?橋を結合している棒が、まさにこの部品です。 かつて使用されていた「幾春別川橋梁」を再現した木造模型ですが、現物は鉄橋です。貴重な鉄橋!「幾春別川橋梁」
では、この「幾春別川橋梁」とは何なのか? 私なりに調べてみましたので、箇条書きでご紹介させていただきます。「幾春別川橋梁」(プラットトラス) ・リベット、アイバー、ピンにより組み立て ・錬鉄(炭素量が少なく鉄の純度が高い、錆に強い 赤錆→黒錆→光沢) ・コフロード&セーラー社(鉄鋼メーカー→鉄橋を主に製作) 米国で多くの鉄橋を製作 ・設立1877(明治10年)1893年(明治26年)2月 倒産 ・アメリカでも1つか2つしか現存していない(岩見沢のものとは構造違う) ・1916年(大正5年)栃木県へ移設(大谷川鉄橋)広井勇さんが関係していた? ・下野電気鉄道(鬼怒川方面でのダム・発電所建設のための路線) ・1918年(大正8年 10月)大谷向~新今市間 開業(鉄橋完成)10連中2連(8連は九州から)昭和40年代に九州から来た8連は老朽化により撤去 ・1996年(平成8年)現役引退(完成から110年余、栃木で76年余) ・1994年土木学会誌の表紙を飾る ・1つは三島(JR東海研修センターに組み立てた状態で保存)、1つは北海道へ ・技術的な価値(我が国で最古の米国製鉄道橋、我が国に現存する鉄道橋で3番目の古さ、改修が少なく原形を保っている) ・産業的な価値(北海道開拓におけるアメリカ技術の導入遺産、北海道近代化のための炭鉱開発 幌内鉄道) ・岩見沢の価値(地域の宝、街の成り立ちの礎、岩見沢にあることに意味がある) ・屋外で野ざらしで保管されている(錬鉄なので磨けば使える) ・材料はすべて残っている
私なりに調べて、重要だと思った部分を抜粋した内容です。 ※ 私は専門家ではありませんので、情報に誤りがある可能性があります 一言で申しますと「とても貴重な鉄橋」だということです。 JR東海さんの研修センターに同型の橋が保存されていることを考えると、JRお墨付きの貴重な産業遺産と捉えることができます。 しかし、岩見沢にゆかりのある鉄橋にも関わらず、お金や場所、技術等の問題からきちんと保存することができず、部品がバラバラの状態で野ざらしになっているそうです。 北海道開拓の歴史の証人として、とても重要な物ではないでしょうか。